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2013.09.12

追悼 橋本武先生

 ~教科書を使わない型破りな授業で知られた私立灘中学・高校(神戸市東灘区)の元国語教師・橋本武(はしもと・たけし)さんが11日、老衰のため神戸市内の病院で亡くなった。101歳だった。告別式は未定。

 京都府宮津市出身。1984年までの50年にわたり教壇に立ち続けた。作家・中勘助の自伝的小説「銀の匙」を中学3年間かけて読み込む授業が、生徒や保護者に支持された名物教師。

 「生徒の心に残る授業がしたい」と授業では毎回、ガリ版刷りのプリントを配布。運動場でたこ揚げをするなど小説の中の出来事を体験させたり、一つの単語から次々と話を派生させたりした。2011年6月には、同中学で27年ぶりに教べんを執り、話題を呼んだ。(2013年9月12日 読売新聞)~
 

とてつもなく悲しい訃報が入ってきました。

当塾「思考研」でも授業を行なっている「銀の匙(さじ)」をつかった国語授業の創始者でもある、元灘中・高教諭の橋本武先生が昨日お亡くなりになりました。御年101歳でした。


思えば縁あって近所の子供たちを教えることに
私が携わるようになり、「何かためになって、しかも、楽しみも生まれるようなことはできないか」と考えた時に思い出したのが、橋本先生がわが母校灘校でおやりになっていた「銀の匙(さじ)」を題材にした勉強法でした。

まず、上の記事にもあるように、生徒の心にのちのちまで残るような授業をしたいと思いました。
くわえて、「興味に従って横道にそれてゆく」というスタイルが私の前職である研究者の学びの姿勢とも非常に相通ずる部分があり、ぜひ橋本先生の勉強法を取り入れさせていただきたく、(灘校の縁ということで)ずうずうしくも橋本先生に直接お手紙を差し上げました。
驚いたことに、わずか3,4日後くらいにお返事が届き、文面にはこう書かれていました
 

~「銀の匙」の読書会いいですねえ。貴君ご自身の色を出されれば一そう楽しい集いにおなりでしょう(以下略)~
 

そしてそこには、橋本先生の血と汗の結晶(ひょうひょうとした橋本先生にはこのような表現は似合わないかもしれませんが)である、オリジナル「銀の匙研究ノート」3冊が同封されていました。私はその本3冊を見てふかく感動するとともに、感謝の念を禁じえませんでした。
灘校の縁はあるとはいえ、はじめてお手紙を差し上げた私に対してこんなにも親切かつ謙虚に接してくださる先生の度量と人間性に深く感銘を受けました。


その後、先生のアドバイス通り、私自身の色(私の場合、生命科学・医学の研究者でした)を加えて、例えば「銀の匙」の最初の方に出てくる「漢方医学」に引っ掛けて「西洋医学」の一つの例としてiPS細胞について生徒たちに資料を作ってお話ししたりしました(ちょうど、昨年山中伸弥先生がノーベル賞を授与されたので、生徒たちも大変関心を持って聞いてくれました)。
 

またちょうど最近、当「思考研」で学ばれている生徒さんとともに、橋本先生にお手紙を書いて差し上げよう、と考えていたこともあり、訃報に接したショックは大きいのですが、上に記したように、子供たちに行っていた授業が、いまここ「思考研」で行っている「銀の匙+国語要約Ⅰ」の授業につながってきていると思うと、この「思考研」も橋本先生の数多くの「血と汗の結晶」の一つになるのかもしれません。
また、私自身も橋本先生のお名前に恥じぬような「心と頭に残り、かつ、知的好奇心を満たす」ような授業を行っていかなければならないと決意を新たにしているところです。

 

橋本先生、本当にありがとうございました。そして、長きにわたりお疲れさまでした。橋本先生の残された教育・思想・哲学はきっと世の中の隅々にまでしみわたり、明日の世界で活躍する日本人を育成することにつながっていくことでしょう。

 

合掌

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