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2024.07.30
やはり計算力は思考力の基盤
突然ですが、この動画をご覧になってみてください。
最近、このブログで偶然計算のことに触れていたので、以前見たことのあるこの動画を探したのですが、「アメリカ人 計算」と検索したら、すぐに出てきました(笑)。
どうでしょうか?ちょっと引きませんか?
以前の私なら、この動画を見たら「たまたまとんでもなくできない人にインタビューしているのやろ」と考えたと思うのですが、今の私はここに出ているアメリカ人がそうとんでもなくできない人とは思わないんです。むしろ、結構普通にこういう人が多いのだろうと…。
というのも、日本のインターナショナルの生徒さんもびっくりするほど計算ができないのを目の当たりにしたことがあるからです。
計算は計算機を使えばよい、という教育ですし(←それも理解はできるんですが、計算機を使ってもよいのは化学の問題などで、計算すること自体が眼目ではなく、どんどんややこしい数字を使って先に進んでいかないといけないような問題など、限られた場合だと考えます)、そもそも九九がしっかり頭に入っていないんですね。だから2ケタの計算など、出来たら計算の達人扱いされます(マジです)。
なぜ、アメリカ人(というより大半の外国人)は計算が苦手なのか?を自分なりに考えてみたことがあるのですが、確実に言えるだろうと思うのは、「どうも英語は日本語に比べて、数を計算するのに適していない言語なのではないか?」ということでした。
日本語なら、1000も「セン」と一言で言えます。1543も「センゴヒャクヨンジュウサン」と口に出せば0.5秒くらいで言えます。
英語ならどうか?1000はワンタウザント、1543はワンタウザントファイブハンドレッドフォーティースリー、と書いているだけで疲れてしまいます。
ワンファイブフォースリーとか表現するのかもしれませんが、そのやり方なら、日本語でもイチゴヨンサンと読めばしまいです。
そういうこともあるのでしょう、日本語なら九九も語呂合わせを駆使してニシガハチ(2×4=8)ということも極めて短い文で表現でき、覚えられます。
もっとも根本的な数の表現の仕方、九九のような基本計算の言い表し方がこれだけ違っていると、それが積もり重なってできる計算力、ひいては数学力が異なるのも当然のことだと思われます。
最近は自動計算をしてくれるレジが普及しているのでそんなことはないのかもしれませんが、少し以前までなら、普通に駅の売店で売っておられるおばちゃんが、おつりを見事に暗算してこちらに返してくださるようなことが普通にありましたよね?
普通の駅の売店のおばちゃんがびっくりするような暗算力をもってお金の計算をされていた、という事実は、実は日本の技術力の高さを物語っています(基礎教育のレベルで「読み書きそろばん(計算)」がいかに重視されていたか?ということ)。
基礎的な計算力があるからこそ、その上に思考力が回ります。
「基礎的な計算力がなくても、思考力は育つ」というのは、「基礎的な語彙力もなしに名文は書ける」と言っているようなものです。
こういう人が大半(?)のアメリカ人って、どうやってGDP1位の地位を維持できているのか、不思議でならない(おそらくトップエリートがとんでもなく稼いでいるんでしょうね…)のですが、日本人がこんな感じの人であふれてしまわないように(ひそかにそうなるのではないか?と危機感を抱いています)、当塾も小さな努力を続けてまいりたいと思います。
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